白いカーテンから朝日が入り込みベッドを少しだけ照らし眠る少女に目覚めの合図を送る。

光に目覚めを促される様にティリアスはゆっくりと目を覚ました。

春であり今日の天気は晴れの為だろう。ティリアスの部屋の温度は低くも無く高くも無い。

ティリアスはゆっくりと上半身を起こした。

きめ細かい黒く美しい髪は差し込んでいる朝日に照らされ黒光りしている。

頭の中は霞に支配されておらず寝不足の感じは無い。ティリアスが寝たのは日付を跨いだ夜中の二時。睡眠時間は四時間半だけだが、身体に疲れは残っていない。

夜中まで起きていたのは宿題をやっていたわけではない。昨日の宿題は比較的容易に問題が解けたので、夕飯の支度をする前に済ませてしまっている。

枕元に置いてある文庫本を手に取りティリアスは表紙に目をやる。夜中まで起きていたのは読書をしていたせいであった。

手に取った本のカバーは濃い緑色で統一されており、光の差し込まない森の様なイメージを際立たせている。

本の題名は藍色の泉の精V。

その題名の下には澄んだ泉のイラストが描かれていた。

フィクション小説であり、同世代の子供達からの人気もそこそこある小説。

ティリアスがこの小説を知ったのは初等部に入学してすぐの頃だった。書店に月刊誌を買いに行った際に偶然、この小説を見つけ興味を持ち一巻目を買ってきて読んでみた。

すると忽の内にティリアスは物語の虜になってしまったのだ。

一巻目を読み終えるとティリアスはすぐに書店に向かい、二巻目と三巻目を買ってきた。

ゆっくりと丁寧に描かれた物語。

この物語は主人公である娘の村で病が流行る所から始まった。病は感染力が高く、感染してしまうと全身に赤い斑点が浮かび上がり熱と激痛に全身が支配されてしまう。病によって死ぬことは無いが、治療法が見つからないため、感染した者達は熱と激痛による苦しみが消え無い。やがて、村は嘆きの声だけしか聞こえなくなってしまったのだ。

主人公の娘はこの村で唯一、病に感染する事が無かった。娘は父を早くに失い、母と共に二人で暮らしていた。母も病で倒れてしまい、娘は泣き崩れた。

そんな時、人の言葉を喋る大鷲が村の上で叫び続ける。

「黒色の森の泉の精に頼めば良い」

娘は途方に暮れていた為、母や村の人達を救えるならばと思い大鷲の声に従って村を旅立った。

これが藍色の泉の精Tの最初の部分に書いてある話。

この後、娘は森に向かうのだがその途中様々な苦難が起こるが何とか知恵を生かして解決していく。

ティリアスが現在読み終えた三巻目は泉の精の住む森へ向かい山を越えた場面で終わっている。

四巻目はまだ発売されてはいない。予定では今年の夏頃に発売予定だと購読している雑誌には掲載されていた。

この小説、実を言えばティリアスは一度読んでおり本棚にしまっておいた物だった。

昨日の事を忘れたくて、もう一度読んでみた。

読んでいる時は本の世界に入り込み嫌な事柄を全て忘れ夢中になれる。けれど、読み終わるとすぐにまた嫌な記憶が頭を支配する。

邪悪な感情に支配された自分自身。

リュウが玩具のように見え、痛めつけ弄り殺したいと思った自分。

訓練だったから良かった。訓練でなければティリアスはリュウを本気で殺してしまっていただろう。

彼女はそれを激しく後悔していた。

生まれて初めて胸のうちから膨れ上がった邪なる感情はティリアスを苦しめ続けた。

ティリアスはリュウに訓練が終わった後も、寮に帰ってきてからも謝り続けた。リュウはそのたびに笑いながらもう気にしていないと言った。

ベッドから降り、床に足をつけてティリアスは立ち上がる。床は自動的に温度が設定されており足を付けても冷たくは無い。

ティリアスが寝ていたベッドのシーツには数枚の羽根が抜け落ちている。

不死鳥族の翼の羽根は毎日の様に抜け落ち、新たに生え変わる。羽根の枚数は抜け落ちる枚数と生え変わる枚数は大体決まっている。

翼は、有翼種である不死鳥族の証である。

黒く艶やかな髪に白い翼を持つティリアス。カーテンから差し込む光を微かに受けるその姿は、異性はもちろんの事同姓でも目を引く美しさである。

ティリアスは背中の翼を広げると一度だけ翼を羽ばたかせた。もちろん飛ぶためではない。

翼から数枚の羽根が地面に落ちる。今落ちた羽根は翼や他の羽根の合間に挟まっていた羽根だろう。城にいた時は身の回りの世話をするメイドらに翼の手入れをしてもらっていたが、こちらに来てからはこのようにして翼に付いている余分な羽根を落としている。

本を机の上に置き、近くの床に置いてあるフェザーダストを充電器から外しティリアスは手に取った。

高速、静音の二種類のうち静音にスイッチを入れる。

低くうなる音がフェザーダストから聞こえはじめる。動いた事を確認するとティリアスは一番近くに落ちている羽根にフェザーダストの口を近づける。

羽根は少しだけ浮くとそのままフェザーダストの中に吸い込まれていった。

フェザーダストは、不死鳥族の羽根を吸い込み収めていく装置である。羽根は毎日のように抜け落ちていく。それらを放置していたら、やがては足元が羽根だらけになってしまう。

かと言って朝から掃除機や箒と塵取りで掃除していたのでは手間も時間も掛かってしまう。その問題を解決するために作られたのがこのフェザーダストであった。

手軽に持てて、簡単に扱える。羽根詰まりを起こさないように試行錯誤を繰り返し、完全な商品として発表されたのは機械が登場してから十数年後の後、今の時代から約千年以上前の事であった。

デザイン性や使いやすさも当時から変化し続けている。ティリアスが入学する際に購入した物は黄色でシンプルな形の物である。

フェザーダストを使い次々と羽根を吸い込み、床の上とベッドの上に落ちていた自分の羽根を全て片付けたティリアスはフェザーダストの側面に表示されているゲージを見る。

1から10までゲージがあり、現在は7のゲージが光っていた。ゲージは残り容量がどれだけ残っているのかを表示する物なのだ。7だともう少しだけ余裕があると言う証拠である。

ティリアスはフェザーダストを充電器に再び戻す。赤いランプが点灯し、再び充電が開始された。

机の上に置いた本を本棚に戻すと、そのまま部屋のカーテンを一気に開ける。

春の日差しが部屋中に降り注ぐ。

雲ひとつ無い快晴。さして暑くも無く、今日も良い日和になるだろう。

ティリアスは窓を開けた。窓の手すりに一羽の小鳥が止まっている。灰緑色の体毛の小鳥で、ホオヨクスズメと呼ばれる雀の仲間である。主食は小さな虫。あまり群を成さない。その理由は天敵であるカラスに襲われない様にするためである。

「おはよう」

「チュンチュン(おはよう)」

窓から手を伸ばし、ティリアスは窓の手すりに止まっているホオヨクスズメの頭を人差し指で優しく撫でた。嬉しいのだろう、ホオヨクスズメは目を軽く閉じてジッとしている。

「気持ち良い?」

「チュン!(気持ち良いよ)」

ティリアスは、生まれつき植物や動物達の声が聞こえるのだ。声と言っても鳴き声では無い。動植物たちと普通の会話を行うことが出来る

最初は驚いた。城にある自分の部屋のテラスにやってきた小鳥達の声が聞こえ、慌てて近くにいたメイドのマァルに鳥の声が聞こえたと言った。

その後、宮廷魔術師のパルフェに見てもらったのだが良く分からないと言われた。

確かにティリアスにも良く分からなかった。良く分からなかったが徐々に良く分からなくても別に良いと思い始めた。

理由は簡単で、動植物と会話できるのが嫌ではなかったからである。

今より、幼く身体が弱かった時は部屋から出ることが許されなかった。自分の部屋でオルゴールを聞きながら本を読み、時にはピアノを弾く生活だった。そんなティリアスにとって、テラスに来る鳥達と会話が出来る能力は、ありがたい能力だったのだ。

基本的に会話能力はティリアスが動植物の声を聞きたいと思う時しか、効果が発揮されない。今はこのホオヨクスズメと会話したいと思っているから声が聞こえるので、聞きたくないと思えば声も聞こえなくなり会話も出来なくなる。

「最近、カラスはいないの?」

「チュンチュン(いないよ。襲われなくて安心)」

ホオヨクスズメはティリアスの人差し指に体を摺り寄せる。

まるで甘えているようだ。

ティリアスも悪い気はしない。そのままホオヨクスズメを見つめる。動物達が寄ってくるとティリアスは大抵優しく体を撫でるくらいしかしない。これが動物達にストレスを与えないとティリアス自身思っている。

それから数分経った時、ホオヨクスズメがティリアスの人差し指から離れた。

「チュンチュン(もう行くね)」

「うん、カラスに襲われないように気をつけてね」

ホオヨクスズメは灰緑色の翼を羽ばたかせ空に舞い上がる。

「チュンチュン(元気だしてね)」

それだけ言うとホオヨクスズメはそのまま飛び去って行った。

飛び去った方向の空を見上げるティリアス。

「ありがとう……」

励ましてくれた一匹のホオヨクスズメに感謝した。

「あーそんな事があったんだ。だから昨日は妙に落ち込んでいたんだね」

「え!? 分かっていたんですか?」

ティリアスはルナを昼食に誘い校庭近くのベンチで昨日起こった事柄を話した。

リュウと訓練戦闘をした。その際にリュウを殺したいと思った自分の気持ちをルナに話した。ルナとは幼等部以前の付き合いで最初に出来た人間の友人である。

「長い付き合いだからね。よくわかるよ」

ルナとティリアス。二人の皇女が初めて出会ったのは惑星フェニックスにあるフェニックスパレス。皇族が住まう城で行われたパーティーの席だった。

その日の夜はティリアスの姉であるエアリス・フェニックスの誕生パーティーが行われた。惑星フェニックスの別大陸から。また、他の惑星からも来賓が訪れ華やかなパーティーが行われていた。

誕生パーティーの行われている会場から出る事が可能なバルコニー。涼しく肌に心地よい風が流れる夜に二人の少女ティリアスとルナは出会った。

同年代と言う事もあって、二人はすぐに打ち解ける事が出来た。

友達になってくれる?

そう言ったのはレモンイエローのドレスを着たルナ。胸元に、可愛らしいと言う花言葉を持つ淡いピンク色のスウィアーテがあしらわれたレモンイエローのドレスは金色の髪を持つルナの雰囲気にピッタリであった。

よろしくお願いします。

答えたティリアスが着ていたのは青と藍色を混ぜたかのような色合いのドレス。普通は、成人した女性などが着る色合いのドレスなのだがティリアスには不思議と似合っていた。少しだけウェーブをかけた黒く艶やかな髪に金と銀の装飾が施された髪飾りも上品で大人しい雰囲気を引き立てていた。

二人は、別れ際に自分達のドレスと同色のグローブ越しに軽く握手をして友人の証としたのだった。

そして、今に至る。

「ティリアスの翼は温かいなー」

昼食を食べ終えたルナはティリアスの翼を手で触り始めた。

不死鳥族の温かく柔らかな翼を撫でるルナ。不死鳥族の翼には身体の神経よりも感度の高い神経が通っているため、翼が傷つけば痛みが走り、擽られると笑ってしまう。

けれど、優しく撫でれば落ち着かせることが出来る。実際、ティリアスは嬉しそうに笑みを浮かべながら目を瞑っているのが証拠だ。

「やっぱり、翼を撫でると気持ち良いの?」

「そうですね……、翼を撫でられると安心して落ち着く感じがします」

気持ち良さそうに目を閉じているティリアス。

そのティリアスの顔を見て、ルナは翼から生えている羽根を軽く引っ張ってみる。

「抜いて良い?」

「や、やめてください!」

慌てるティリアス。それも当たり前だろう。不死鳥族の翼は感度がかなり高いため羽根を力ずくで無理やり引き抜くと激痛が走るのだ。その痛みは無理やり髪の毛を引き抜かれる時の倍以上である。

「あ、そう言えば思い出しました」

「ん? なになに?」

ティリアスがハッとし、動きを止めるとふざけていたルナも何かあるのかと思い動きを止めた。

「わたし、今日は部活動あるので帰るのは遅くなると思います……」

少しだけ申し訳無さそうに話すティリアス。

ルナはティリアスに対し笑いながら答える。

「別にいいよ。それに実は私も今日は弓道部があるからさ」

それから、ルナは自分の横に置いてある飲みかけのミックスジュースを手に取るとキャップを開けて飲み始めた。

ティリアスは顔を上げ、空に広がっている雲に視線を向ける。

今日は昨日と違い少しだけ雲が出ている。天気予報も、雲は出るが風の流れは安定するので空を飛ぶには昨日と同様だと言っていた。

「久しぶりに……空を飛びたいですね……」

空を見上げながら呟くティリアス。翼を持つ不死鳥族が空を飛ぶのは普通であり、ティリアスがそう思うのは不思議な事ではない。

「だったら、飛ぶ時は私もご一緒させてもらってもよろしいでしょうか?姫様」

ミックスジュースを飲み終えたルナは屈託の無い笑みを浮かべてティリアスに申し出た。もちろん、姫様とはティリアスのことを指している。

「こちらこそよろしくお願いいたします。風の流れとお時間があれば、是非ご一緒に空の散歩といきましょう。ルナ・シルファー様」

ティリアスがそう答えると、ルナは立ち上がり飲み終えて空になったペットボトルを近くに設置してあるリサイクルボックス目掛けて放り投げた。

音も立てずに、ゴミ箱に入ったペットボトル。誰が見てもその正確さは明らかだった。

「よし!コントロールは抜群!そろそろ予鈴も鳴るから教室帰ろうか」

ティリアスは左手の時計を見る。時を示す針が羽根の形になっているこの時計は、初等部入学の際に母親から送られたプレゼントであった。

分針は予鈴のなる3分前を指している。

「そうですね、次の授業の準備もありますから早めに行きましょう」

手にしたゴミをリサイクルボックスに入れると、ティリアスはルナと共に校舎の中に入っていった。

「ごめんなさいね。後片付けさせて」

「いえ、気にしないでください。沙羅先輩」

ティリアスは音楽部長である香乃沙羅と共に部活の後片付けをしていた。後片付けと言っても難しいことではなく箒で床を掃き机を元に戻すだけだ。

初等部に入って、ティリアスは迷わずに音楽部に入部した。幼い頃からピアノやオルガンは良く弾いていたし、何より演奏するのが好きなのだ。

音楽部の部長である沙羅は二年生ながら良く音楽部の部員を纏めている。

最初、ティリアスと同じ一年生の新入部員が三年生がいるのにどうして部長をやっているのか聞いたところ卒業した六年生の先輩から直接部長をやるように言われたからやっていると沙羅は答えた。

人当たりが良い沙羅は新入部員ともすぐに打ち解けていて、ティリアスも好感が持てた。そう考えると沙羅を部長に選んだ当時の六年生は見る目があったのだろう。

「そろそろ、帰ってもいいわ。ティリアスさん」

十分経たずに、沙羅は切り上げようとティリアスに言う。確かに、床には殆どゴミは見当たらない。机も大して動かしていないので音楽の授業をする配置のままだ。

「それでは、先に失礼します」

ティリアスは皮製の通学鞄を手に取ると沙羅に頭を下げる。

「お疲れ様。また、明日ね」

沙羅の言葉を聞くとティリアスは微笑を浮かべ、音楽室から出て行った。

その後姿を見ながら沙羅は呟く。

「レナさんの言うとおりね。少し匂いがする」

部活動を終え、ティリアスは階段を駆け下りる。音楽室はちょうど四階にあるため、下りるのに少しかかる。だが、六階から下りる事を考えれば幾分マシだろう。

階段を下り一階にたどり着いたティリアスは足を止めた。

「リュウ……」

ティリアスの視線の先には鞄を肩に担いだリュウがいた。視線に気付いたのか、リュウはティリアスの方を向く。

「よぉ、ティリアス。今帰りか」

「はい、今活動が終わったんです」

「んじゃ、一緒に帰らないか?どうせ、同じ寮室に住んでいるんだしさ」

リュウがそう言うと何故か周りから鋭い視線が発言者であるリュウに注がれる。

「は、はい! 帰ります!!」

「それじゃあ、先行っているからな」

踵を返すとリュウは正面玄関から校庭へと出て行った。

ティリアスはすぐに上履きから下履きである革靴に履き替えると慌ててリュウの後を追った。何故かあの場に長く留まっていたくなかったからだ。

走ってリュウに追いついたティリアス。少しの間二人は無言のまま校庭を歩き続ける。そして、ちょうど校門を出た時ティリアスは口を開いた。

「昨日はすいませんでした……。あんな酷い事を言って、酷い攻撃をしてしまって……」

足を止め深々と頭を下げるティリアス。彼女特有の黒く長い髪がその表情を隠してしまう。

だが、ティリアスが悲しんでいるのは確かである。肩が少し振るえているのだから。

「なぁ、俺がイラストを描くのが好きだって知っているだろう?」

謝罪中に突如発せられたリュウの言葉に、ティリアスは慌てて顔を持ち上げ目を見開く。

リュウは真っ直ぐティリアスを見ていた。

「し、知っています……」

リュウがイラストを描く事をティリアスが知ったのは初等部に入って間も無くだった。部活を立ち上げ現在の部員がリュウを含めて三人だけと言う事もティリアスは知っている。

「だったら、一回でいいからモデルになってくれ。もちろん、今すぐじゃないぞ? 俺だって、腕を磨かないといけないからな」

リュウの力強い黒い瞳がティリアスの赤い瞳を射抜き、リュウは自らの手をティリアスの肩に置く。

「だから、これでこの話は無しだ。いいだろう?ティリアス」

リュウは、ティリアスが負担に思っている事を知っており、あえて自分がティリアスに物事を頼む事により昨日起こった事を解決しようとしているのだ。

貸しと借りの関係を作りあげる。ティリアスが昨日の件でリュウに借りを作ったので、リュウは昨日のティリアスの借りをモデルになってもらうと言う約束をする事で打ち消す。

この様にして解決すればティリアスの真理的な負担は多少軽減されるとリュウは考えたのだ。

ティリアスは少しだけ考え、口を開いた。

「はい、わたしでよければモデルになります……」

微笑みながら肯定の返事をするティリアス。

「よし!これで解決だ」

ティリアスの返答を聞き、拳を握るリュウ。

その二人の前に、黒い羽根が舞い降りてきた。

「ふふふ、ごめんなさいね。デートの約束だったかしら?」

二人は声の聞こえた方向を見上げる。

見上げた先には一人の女性がいた。赤く流れるような長い髪に、魔法を得意とする者が着る法衣の色は女性の髪と同じ赤。

もっとも目を引くのは黒い翼だろう。闇の属性を持つ漆黒のエレメンタルウイング。

そして、女性の肩には人形が腰掛けている。青い服に白いケープの金色の髪の人形はまるで生きているかのようにティリアスとリュウの二人に視線を合わせている。

「はじめまして。惑星ドラゴンヘッドの皇子様と惑星フェニックスの皇女様」

舗装された道に履いているブーツの先からゆっくりと地上に着地した女性。

その容姿は同姓でも惹かれてしまうかのような美しい姿。赤色の髪と法衣、黒い翼。明らかに色合いが合いそうに無い姿だが、女性の姿はまったく違和感が無く似合っている。

近寄りがたく不気味な雰囲気となのだが。

「わたしとは……初めてではありません……」

ティリアスは女性と目を合わさずに喋り始めた。

「一昨日、魔物と戦った後にすれ違いましたから……」

下を俯き女性と視線を合わせないようにするティリアス。

しかし、一方のリュウは女性から視線を外していない。真っ直ぐに女性だけを見ている。

二人の対照的な姿が面白いのか女性は笑みを浮かべた。

「不死鳥の皇姫に覚えていただいたなんて光栄ね」

口元に人差し指を当てて笑う女性の姿を見てティリアスは思う。

―この人、怖い……

ティリアスの思いを読み取ったのか、女性は笑みを止めた。

「でも、私はあなた達とお喋りをしに来たのではないのよ」

女性が口から言の葉を紡ぎ出し、右手の指を鳴らした瞬間に世界が変わった。

辺りにあった町並みの風景は一瞬で消え去ってしまい、替わりに風景を支配していたのは青色。

突如起こった異変にティリアスは辺りを見回した。

見渡す限りの青の風景。その色は青の中でもどちらかと言えば空の青に近い。

そして、この場にいるのは女性とティリアスだけ。

ティリアスは周囲を見回した後、手を震わせながら女性を睨みつける。

まだ、女性に対し怖さを抱いているがそんな事を言っている場合ではなかった。

「リュウは……どこにいるんですか……」

そう、ティリアスの隣にいたはずのリュウがいつの間にか消えてしまっていたのだ。

指を鳴らしただけで、周囲の風景を一変させた女性。彼女がリュウを消したと考えても何も不思議な事ではないとティリアスは考えていた。

ティリアスはこのレベルの魔法を使える者を一人知っていた。

パースリー・ライトルベーヌ・フリエルフォース・テェルノーマ。

名前が長いためパルフェと呼ばれている女性がこの時空間魔法を扱える事が出来た。パルフェは人間ではなく、魔族の中で人間と同じ知性や知能を持つ魔人である。

惑星フェニックス、フェニックスパレス宮廷魔術師であり城内図書館の館長である人物。パルフェは図書館に時空間魔法と呼ばれるものを掛けて、図書館内の広さを拡大させていた。

時空間魔法とは、時と空間を操る魔法の事である。対象の時の流れを遅くさせたり速めたり、または止めたりする。空間を直接操作する事で、通常の認識ではあり得ない事を容易に行うことが出来るのだ。

だが、誰でも扱える魔法ではない。時と空間を自在に操る事が出来るのは神々の成せる技だ。普通の人間がこの時空間魔法に手を出せば魔法制御が不能となり魔力が暴走し容易く死ぬ。

しかしながら、この神々の成せる技を扱える者は膨大な魔力と類稀なる魔法制御力を持つ者は極稀にだがいるのだ。

さらに言えば、人間達の行う武器を瞬時に手元に出せる現象も一種の空間を制御している事になる。武器の収められている場所から、自分の手元に一瞬で出現させる事が出来るからだ。

この話になるとここで問題が発生する。生まれつき、武器に自身の魔力をかけて自分の手元に一瞬で出現させる事が出来るのに、他の物では何故出来ないのか? 任意の場所に一瞬で辿り着けるようになってもおかしくは無いではないか? この様な議論は昔から行われており今でも決着が付いていない。

つまり、目の前の女性はその様な人物なのだ。

女性はティリアスを見つめながら、問いに答える。

「さっきの子なら別の場所にいるわよ。こことは別の空間にね」

こことは別の空間。

この言葉を聞き、ティリアスは自分の考えている事が当たっていると確信した。

即ち、目の前にいる女性は時空間魔法を使える程強大な存在だと言う事を。

(戦っても勝ち目は無い……。リュウを見つけて逃げなくちゃ……)

風の流れを感じ、ティリアスは直感的に翼を広げるとすぐさま羽ばたき後方に飛びずさる。

ティリアスが元いた場所には女性が立っていた。

銀色に輝く抜き身の刀を右手に握って。

普通に後ろに下がっていたら確実に殺されていただろう。翼を自身の前方に羽ばたかせて飛んだ方が大きく距離をとり易い。

間一髪だった。

「い、いきなり何をするんですか!!」

突如として斬りかかってきた女性に非難の声を浴びせるティリアス。

女性は非難の声を聞いても涼しい顔をしながら、右手に持つ刀を構えず地に刃先を向けている。

「ふふふ、逃げようと思わないほうがいいわ。背中を向けた瞬間に貴女死ぬわよ?」

不敵な笑みを浮かべる女性。

ティリアスは静かに目を閉じると鞄を地面に置いた。次いで左手に青いロングソードが収められている鞘を出現させると素早く腰にベルトを巻きつける。

逃げ切れないのは分かっている。戦っても勝てるわけが無い。力の差は歴然としている事はティリアスにも分かっているのだ。

―勝てない相手なら戦いながらどうすれば良いか考えなさい。分かったわね?ティリ―

幼等部から初等部に上がる際に母親に言われた事を思い出しながらティリアスは目を開き、女性を真っ直ぐに見つめる。

その瞳に怯えた感じはもう見られない。

「逃げられないなら……戦って活路を開きます……」

逃げても戦っても同じ結果になるのなら戦おうとティリアスは心に決めた。

意を決し、柄に手を当てるティリアス。その姿を見て女性も刀を中段に構えた。

「私の名はミリエス・シーア。いくわよ、お姫様」

「ふぅ……」

左手を学生服のポケットに突っ込み右手に学生鞄を持った、リュウは天を仰ぎながら溜息を付いた。

見渡す限りが青の世界。目だけを動かし周囲を見ても青だけの世界。全てが青。

先程までいた町の風景は消え去り、今リュウの周りにあるのは青だけの風景だけであった。その風景の青色は青の中でも黒を混ぜた深海のような青色。

普通の人間なら驚き、パニックに陥ってもおかしくは無い異常な現象の中にいてもリュウはどこか平然としている。

「はぁ……」

ため息はこれで二度目。

リュウは自分の正面を見る。

目の前には金色の髪のセミロングに赤いリボンを髪の後ろに結ってある一体の人形が浮かんでいる。青いエプロンドレスに白いケープを身に纏っている人形は可愛らしく、どこか普通の人形とは違う雰囲気を出していた。

リュウの黒い瞳と人形の青い瞳が交わる。

「こんな所にいきなり来たのに平然としているねー」

人形は目を細め言葉を発した。

声の出る人形はある。内部に音声機器を組み込み、スイッチとなる部分を押す事により声を発することが出来る人形は店に普通に売られている。多少普通の人形に比べて割高だが。

問題は今の人形なのだ。音声機器を組み込むと普通は単一的で機械的な声になってしまうのは仕方の無い事だ。

しかし、この人形の声は完全に人間の肉声。人形が人間の肉声を発する事が出来るのだろうか?

人間の声は声帯を振動させる事によって口から発する事が出来る。振動数が多ければ高い声に、少なければ低い声になる。人形が発した声は少し高めで、ちょうどリュウと同年代の少女と同じくらいの声だった。

常人からすればこの人形も風景の変化と同じくらいの驚きだが、リュウはまったく動じていない。

「ねぇねぇ、どうして驚かないの? 普通はさ、いきなり風景が変わったりしたら驚くでしょう? それに目の前で人形が喋っているんだよ? うわーなんだここは!どうして人形が宙に浮いて人間みたいに喋っているんだ!! ってなるんじゃない?」

不思議な光景だった。驚くはずのリュウが驚かず、逆に人形がリュウに驚いているのだ。

「うーん。あの女の人からは異様な力が滲み出ていたしなぁ……」

「つ、つまりは予想していたって事!?」

「あぁ、していた。あの黒い翼の女性もどっかで見たしな……」

人形が肩を落とし溜息を付く。

リュウも気まずくなったのだろう、頭をかきながら明後日の方向に視線を向けてしまっている。

「はぁ……私の正体も知っているんでしょう?」

溜息混じりに人形はリュウに尋ねる。リュウは首を縦に振り肯定した。

「くっそー!お望みどおり人体になってやる!!」

叫ぶ人形の身体が淡いオレンジ色の光に包まれる。光は徐々に輝きを増していき、少しずつ人形の形を変え始める。

輝く光の形は人間の姿と思われる形に変化していき、数分経たぬうちに光は完全な人の形になると光は弾け飛び中から少女が現れた。

金色のセミロングの髪に青いエプロンドレスに白いケープ。あの人形と同じ格好の少女。人形がそのまま人間になったかのようだが、人形と違う部分が一点だけある。

それは、背から生えた白い翼。先ほどの人形には翼は生えておらず、目の前の少女には翼が生えていた。

「不死鳥族ベースか……」

「そうだよ。擬態は人形、人体は不死鳥族」

リュウの言葉に少女は反応した。人形と同じ声色。

この少女は先ほどの人形と同じだとリュウには最初から分かっている事だった。

少女は笑みを浮かべると、いきなり目の前に自分の身長と同じ大剣を出現させ両手で柄を握り締めた。

身幅の広い両刃の大剣、刀身は銀で出来ているのか美しい輝きを放っている。

手に持った鞄を放り投げるとリュウも武器を出現させた。

訓練戦闘時にティリアスと戦った時と同じ大剣。少女の持つ大剣と同じくらいの大きさだが、片刃で刃の部分とは逆側に何かしらの装置が装備されている特殊な大剣。

「へぇ……、私と同じ武器なんだ」

「値段はまったく違うけどな」

少女は笑みを浮かべ、銀光を放つ大剣を水平に構えた。

「いくよ、竜の皇子様」

素早い足取りでティリアスは真正面からミリエスに向かう。

真正面から攻撃しても確実に防がれるか避けられる。こんな状況を作り出せる相手にそれは無意味だと言う事ぐらいティリアスは分かっていた。

そしてまた、こんな状況を作り出せるミリエスに戦いを挑む事自体が無謀だと言う事も。

ミリエスの手にする刀の範囲内に進入したティリアスは左足から踏み込み、鯉口を切る。

カチッ―

天翼皇剣技・飛燕。

居合いで敵を一刀で斬り伏せる技である。

だが、この技は訓練戦闘の際にリュウが一度見切っている技なのだ。ミリエスの実力からすれば容易に打破できるだろう。

鞘から青い刃が微かに覗くのをミリエスは見逃さなかった。中段に構えていたはずの刀をすぐさま上段に構えなおし一気に振り下ろす。

弧を描くティリアスの居合いと、先程ティリアスが間一髪で避けたミリエスの刀による上段からの斬撃。剣を扱う腕はミリエスの方が上。

ここでティリアスは違う行動に出た。鞘から途中まで覗かせていた刃をすぐさま収めると、同時に右足で青の地を蹴り間一髪でミリエスの上段からの斬撃を横に避ける事に成功する。

鯉口を切ったのはフェイント。戦いの場で鯉口を切り、刃を見れば誰でも鞘から剣を抜くと思うだろう。

ティリアスはその心理を利用したのだ。

上段からの斬撃を横に飛んで避けたティリアスは両の足で地面を踏みしめ、今度こそ鞘から青い長剣を抜き放った。

「飛燕!」

鞘から放たれたティリアスのロングソードは容赦無くミリエスの身体に青い斬撃線を引く。

攻撃の手を休ませることなく、振り上げたロングソードの柄を両手で握り締める。蒼い風が刀身に纏わり付きティリアスは続いて二撃目を繰り出す。

「蒼撃破!」

居合い技の飛燕から続く連続攻撃。蒼撃破はリュウとの訓練戦闘とは違い、ほぼ零距離から撃ち込まれた。

ティリアスの視界を緑色の風が遮った。ミリエスの姿を確認せずにティリアスは翼を自身の前に羽ばたかせて大きく距離を取る。近づいたままだと次の相手の攻撃に対応できなくなりそうだと思ったからだ。

この判断は間違っていなかった。

蒼撃破の風が止んだ直後、ティリアスに向かって三発の火炎弾が飛来した。速度と精度、共にティリアスが数日前に放ったものとはまるで別物である。

高速で飛来する火炎弾をステップで横に移動して回避する。当たるはずだった存在に避けられたフレイムボールは虚しく空を切っていき最後には青の空間に飲み込まれていった。

「燕を飛ばすと思わせて相手に先手を打たせる。籠を手にした姫は別の場所から燕を飛び立たせ、燕は主の命に従い敵を斬る。燕は蒼き風へと生まれ変わり、再び敵に襲い掛かる。中々良い案だったわ」

ミリエスは詩のようにティリアスの行動を口に出す。

その身は何事も無かったかのように無傷。

飛燕の斬撃も蒼撃破の風刃も何も通用しなかったのだ。

ティリアスは無意識に柄を握っている右手に力を込める。

読まれていたのだ。ティリアスの行動は。居合いのフェイントも、飛燕と蒼撃破の連続攻撃も全てがミリエスに見破られていた。無傷なのも魔法により防御を行っていたからだ。剣から手に伝わる感覚に、相手の身体を斬った手応えはまったく無かった。

「不死鳥族だから、やっぱり鳥は風よりも炎にしたほうが良いと私は思うわ」

ミリエスの周囲に炎の弾が出現した。先程の火炎弾よりも大きく、周囲の風景を歪ませている事から火力も先程の物よりも段違いだと予想されるであろう。現れた火炎弾は十発だ

「わ、わたしに火達磨になれと言う事ですか……」

「貴女が火達磨になるか、それとも粉微塵に吹き飛ぶかは結果次第ね」

火炎弾はミリエスの言葉が終わると同時にティリアスに飛来を始める。速度、大きさは先程の物とはまったく違う事にティリアスは驚愕し、目を見開いた。

確実に死ぬ。ミリエスの火達磨になるか木っ端微塵に吹き飛ぶかと言う言葉はこのままでは事実になるであろう。

あの火炎弾をどうにかしないといけないのは分かっていた。

だが、どのようにすればよいだろうか。

魔法とは魔法制御力と魔力によってその強さが決まる。

魔法制御力は行使する魔法を制御するのに必要な技術であり、制御力が高ければ高いほど魔法が暴走・暴発する事は無くなる。

一方の魔力は、大気中に存在し魔法を行使するのに必要なマナを体内に取り込み魔法発動の際に放出する力に関係する。魔力が高ければ効果の高い魔法を放つ事が可能となるのだ。

この二つの関係を理解しないで魔法を行使した場合、使用者自身に甚大な被害を及ぼす事になり、最悪の場合は死を迎える。

魔法のレベルは格段に違う。

それでは、属性はどうだろうか。

属性は火・水・風・土が四つの強弱関係を作っている。そこに光と闇の相互関係が出来ている事はこの世界では誰もが知っている。

小さな火に水をかければ火は消える。火事の家にバケツの水をかけても火は消えない。

ティリアスの持つ属性は先天的に持った特殊な蒼き風と呼ばれる属性。それに訓練で身につけた火・水・光。

水属性の魔法を使えば飲み込まれてしまうのは行動してみるよりも明らかな事であろう。

「くっ」

ティリアスは火炎弾から走って距離をとる。ただ普通に走るだけではなく、時折軽く跳躍をしてその際に背中の翼を羽ばたかせながらの高速移動。完全な飛行では無く跳躍時にのみ翼を羽ばたかせるため、風の影響で大きくバランスを崩す事も少ないこの移動方法は翼を生やしている不死鳥族だけが可能である。

ある程度離れるとティリアスは素早く詠唱を始めた。

「魔の剣から我を守るために壁となれ……マジックシールド」

マジックシールドは魔法による直接攻撃を防御または軽減するための魔法である。初等部で習う補助防御魔法の初歩であり、殆どの人間が使える魔法の一つに数えられる。

七色に輝く薄い光の膜がティリアスの全身を包み込む。

ティリアスにとって、これは保険である。事前に補助タイプと呼ばれる魔法を掛けて戦闘に望むようにすれば危険は格段に減るのだが、ミリエス相手では雀の涙にも劣る効果だとティリアス自身も分かっていた。

(本当はソリッドシールドとリペアも掛けておきたかった……)

これ以上魔法を唱えている暇は無くなっていた。眼前には大型の火炎弾が迫り来ておりこれ以上足を止めていると確実に直撃してしまうのだ。

火炎弾から逃れるために、走りながら軽く跳躍し翼を羽ばたかせるティリアス。

彼女の内心には悔しさが残っていた。

普通は足を止め、その場で集中し魔法を行使するのだが、実は訓練を積めば移動しながら魔法を詠唱する事出来る様になるのだ。実際に友人のユウキ・ランフォードや彼女の姉のエアリス・フェニックスも移動中の魔法詠唱を可能としている。

ティリアスも訓練しているのだが、移動しながらの魔法詠唱はまだ使えなかった。

今更言っても仕方が無いのだ。そう思いながら、ティリアスは自分の位置とミリエスの位置を確認する。

火炎弾で追い込みながら隙が出来ればいきなり斬りかかって来るかもしれないと思っているからだ。

走りながら視線をミリエスに向ける。ミリエスは火炎弾を発動させた後はその場を動いていない。

(何か考えていると思うけど……)

疑念を持ちつつもミリエスから視線を逸らし真後ろから迫ってきている火炎弾にティリアスは目を移した。

ティリアスから一番近い距離にあった火炎弾三発が何故か小さくなっていた。巨大さは無く、ティリアスの握り拳ほどの小さな白色の弾へとその姿を変貌させていたのだ。

「火炎弾が小さくなって……!? しまった!」

驚愕に目を見開きつつすぐさまティリアスは背から生えている翼を動かし自らを包みこむ。

直後、白色の弾へと変化した火炎弾は小から大へと膨れ上がり大爆発を起こした。猛烈な熱風と恐るべき衝撃を発生させた爆発は容赦なくティリアスの身に襲い掛かる。

「きゃあああぁぁぁぁっ!!」

暴れ狂う熱風はティリアスの身に突き刺さる。白翼の羽根達をすり抜け全身に熱を浴びせる。

さらに、同時に発生した衝撃はティリアスの身を大きく吹き飛ばし線の細い身体を青の地に叩き付けた。

「うぅ……」

苦悶の声をあげながらもティリアスは何とか手を付いて立ち上がる。艶やかな黒髪は乱れ、爆発を受けた翼からは少しだけ焦げている羽根が何枚も抜け落ちていた。

この状況下でも右手には青い輝きを放つロングソードが握られていて、意識もちゃんとある。全身には熱風と衝撃のダメージがあるが、まだ身体を動く。

羽衣(はねい)。

それは翼を持つ不死鳥族が咄嗟に使う防御方法である。魔力と闘気を翼に流し込み自身の翼を防壁にして相手の攻撃から身を守る。翼から生えている一枚一枚の羽根が複雑かつ重厚な壁となり、強固な防御性能を持っており、リュウ曰く戦闘車両の装甲に近い物である。

ただ、良い事ばかりではない。羽衣は翼で自らを包み込み外部からの攻撃を守る。故に、視界も翼によって遮られるため次の相手の行動が読みづらくなったりもする。

そして何より翼から生えている羽根が抜ける。羽衣で防御した直後の飛行は困難になってしまい、羽根の残数次第では再度の羽衣は不可能となる。

羽根が抜け落ちる際に翼から全身へ激痛が一瞬だけ走るが行動不能に陥る確立は皆無と言っても差し支えない。

「羽衣で防御するのは基本よね。お姫様」

耳に入るミリエスの言葉を聞いたティリアスはすぐさま自身を包んでいた翼を広げた。羽根が抜け落ちた際に全身を走った痛みはすでに治まっている。

視線の先にはいつの間にか接近していたミリエスが刀を薙ぎ払おうとしている。左手で姿勢を少しだけ起こし、両足に力を込めティリアスは身体を立て直そうとした。

体勢を立て直そうとしているティリアスに向かって、ミリエスの斬撃が容赦無く襲い掛かった。

ミリエスの刀の一撃を長剣で受け、バランスを立て直そうとしていた体勢はまたも崩れてしまう。仰向けになったティリアスに向かい再び刀の斬撃が浴びせられた。

再度、ミリエスの攻撃を長剣で受け止めるが、刀の切っ先が偶然頬を軽く切りティリアスの頬から赤い血が一筋零れ落ちる。

切っ先を真紅の血で濡らした刀を手に、ミリエスは自分の前にいる少女を見つめる。

「この程度なのね。皇女様」

呟き、ミリエスは刀を振るった。

「くっ……」

顔を歪ませ、唇を噛み締め痛みに耐えるティリアス。両足の太ももからは血が出ている。ミリエスの斬撃によって付けられた傷は深くは無いが痛覚は感じる。いくら訓練戦闘で同じか、それ以上の痛みを知っているからと言っても慣れているわけではない。

「ふふふ、噂以上に綺麗な声をしているのね。それに意思も強そう」

「このままわたしを、甚振り殺すつもりですか……」

「そんな事はしないけどね。殺されるのなら四聖獣奥義でも使われたいかしら?」

気丈な態度だったティリアスの表情が四聖獣奥義と言う言葉を聞き、一瞬凍りつく。

その表情を見て、ミリエスは少しだけ表情を曇らせた後、視線を上に向ける。

ミリエスの視線の先には先ほどまでティリアスを追っていた火炎弾が三個浮いていた。先ほど爆発したのは追っていた火炎弾全てではなかったのだ。

「あれを落とせば貴女は直撃を受けて死ぬわ。その翼では羽衣は無理でしょうし、私とでは魔法を操る全てが違う」

言葉を言い終わると、ミリエスはティリアスに背を向け離れて行った。

ティリアスは迫り来る火炎弾を見つめる。

ゆっくりと落ちてくる自らに死を与える物。

火炎弾の直撃を受ければティリアスの身体は一瞬で焼かれ、爆発の衝撃で全身がバラバラになるだろう。

死ぬと思った。死にたくは無いが、これでは確実に死ぬと思った。

逃げても追尾して爆発を起こす火炎弾。

ミリエス・シーアと言う女性に出会った瞬間から死ぬことは決まっていたのかもしれないとティリアス・フェニックスは思った。

制服の胸元に掛かっているネックレスを握り締め、か細い声を出した。

「蒼き風に優しく抱かれ、弱き我が身は衣を纏う……空を切り裂く蒼風の衣を、弱き者を抱きし、守る蒼き衣を身に纏う……」

目を閉じ、全身の力を抜いたティリアスは詩を紡ぎだした。

「行きますけど良いですか?」

女性の問いに幼い女の子は首を縦に振る。

広がる樹海の入り口には女性と幼い女の子がいた。

澄んだ風、緑色の草と不思議な色合いの花が咲き乱れ、図鑑にも載っていない見知らぬ鳥や獣達が住む樹海。

ある程度の歳の者なら恐怖は感じないだろうが、幼い子供には恐ろしさを感じるのだろう。女の子は足を運ぶ事を恐れていた。

白い布を纏っただけの女性は体を屈め、優しい微笑を浮かべながら、空色のドレスを着た女の子の頭を優しく撫でた。

「いらっしゃい、幼い姫君」

女の子は無表情のまま女性の瞳を見つめ一度だけ頭を縦に振り、女の子は女性に手を差し出す。差し出された幼い手を引き、女性は樹海の中を女の子の足取りにあわせて歩く。

「道はありますから大丈夫ですよ」

樹海の中では時々石の建造物のような物が見える。石に刻まれた紋や柱の形状等から推測するに建造物は高度な石材文明の力で作られたと考えてよいであろう。今では朽ちて蔦に覆われてしまい無残な姿を晒しているが。

草を踏み、樹海の中にある道を歩く二人。

女の子はずっと下を俯いたまま、周りを何も見ずに女性に手を引かれて歩くだけ。

この年頃の子供なら笑っても良いだろうが、女の子は何も表情を浮かべない。

そんな女の子を見て、女性は悲しげな表情を浮かべながらも目的の場所に向かって女の子の手を引きながら歩き続けた。

やがて、樹海が開けた場所に二人は辿り着く。

先程までの樹海とは明らかに違う世界。

二人の前には小さな小川が流れており、樹海を構成していた樹ではない樹が生えている。

そして、巨大な樹

女性は視線を、錆付いた剣が一本だけ刺さった巨大な樹に向ける。女の子も、女性の視線に合わせて光の無い紅の瞳を巨大な樹に向ける。

幹は太く、全てを支え。

枝は数え切れぬほど、無数に幹から分かれ。

枝から生える葉は、全てを抱きしめるように感じられる。

大きく。

力強く。

そして、温もりと優しさを感じる巨大な樹。

「部屋にいるよりもここにいるほうが……」

樹から女性は言葉を遮った。

握り締めた幼い女の子の手が震えていた。

巨大な一本の樹を見ながら、女の子の無機質な紅の瞳からは涙が零れ落ちている。頬を伝い、顎から地に零れ落ちていく小さな雫。

女の子は巨大な樹を見て涙を流し続ける。

声もあげず、ただただ涙を零し続ける。

「よかった……」

女性の瞳からも涙が零れ落ちた。

女の子の背から生えた白い翼と、翼の付け根辺りまで伸びた黒髪を女性は愛おしげに撫でる。

「また、何かを守りたいと思った時のために内に眠る風の力を解放する言の葉を授けましょう」

言葉を言い終えた女性は、女の子を後ろから抱きしめた。

「蒼き風に優しく抱かれ、弱き我が身は衣を纏う。空を切り裂く蒼風の衣、弱き者を抱きし守る、蒼き衣を身に纏う」

女性の口から紡ぎだされた言葉を聞いた女の子は涙に濡れた瞳を女性に向ける。何も映し出さない紅の瞳は未だに涙を流しているものの、女の子は口元に微かな笑みを浮かべていた。

「あなたを、ここに連れて来て正解でしたね」

無表情だった女の子の微かな笑みを見て、女性も微笑みを返した。

熱風が吹き荒れ、ミリエスの髪と法衣を靡かせる。

三発の火炎弾が落ちて爆発したのでは無いと、彼女自身理解していた。

何故なら、火炎弾が着弾すれば爆発音がするからだ。音が聞こえなかった以上、別の事が起こったと考えるのが普通だろう。

熱風で暴れる髪を左手で押さえ、口元に嬉しそうな笑みをミリエスは浮かべる。

ミリエスの振り向く先には蒼い風を周囲に纏わせ、紅の瞳を輝かせるティリアスが立っていた。

青の空間を銀刃が切り裂く。水平状態から滑るように振り切られた大剣は銀光を残し虚しく空を切った。

「へぇー、よく避けたね」

自分の斬撃を数歩下がり避けた少年リュウを褒める少女。

褒められたリュウは大剣を構えたまま人形から人間へと姿を変えた少女に褒められた礼を言う。

「お褒め頂き光栄。歩いて近寄ってきて、避けられそうな斬撃誰でも避けるがな」

そう、少女は大剣を水平に構えたまま歩いて近寄り、大剣を水平に振った。斬撃速度はあまり速くは無かったのでリュウは容易に避ける事が出来た。

いや、初等部生なら誰でも避けられるであろう。

リュウは大剣を中段に構えたまま若干少女と間合いを離す。不測の事態に備えるためだ。

目の前にいる少女はこの空間を作り出した女性の関係者である。冷静に考えればこの程度で事が済むはずは無いと考えるのは決して過度な考えではないだろう。

「馬鹿じゃないみたいだね。まぁ冷静に考えれば私が手加減したと考えるのが普通だね」

クスクス。

笑いながら少女は大剣を中段に構える。

「20%だけ力を出してあげる。覚悟してね」

「いや、10%で良いです」

返答を無視し少女は先ほどとは比べ物にならない速さでリュウに接近すると無造作に左から袈裟懸けに大剣を振り下ろした。

大剣を下から斬り上げ少女の銀剣を迎え撃つリュウ。

―ギインッ!!

質量が重いもの同士がぶつかり鈍い金属音が二人だけの空間に響き渡る。

上から重力に従い振り下ろされた大剣と、下から重力に逆らい振り上げられた大剣。力関係ではリュウが不利だ。その証拠にリュウの大剣は上から押さえ込まれ少しずつだが勢いを失いつつある。このままでは防御を崩され肩口から斬り込まれるのは明白であろう。

「結構、剣速が速いね。名前はリュウ・アルカードだっけ? 私の名前はミラっていうの」

剣を交差させたまま人形から人間へと姿を変えた少女ミラは自己紹介をはじめた。リュウは別段自分の名前を相手が知っている事には驚かず簡潔に返す。

「リュウって呼んで良いですよ!」

右足を軸にしてリュウは前蹴りを少女ミラの腹部目掛けて叩き込む。この状況では自分の方が不利であると判断し無理やりにでも位置を変えたい一心での行動だろう。

ミラはその攻撃を予想していた。自身の大剣の角度を傾け、リュウの大剣の上を滑らせ正面から左側へと自らの位置を素早く変え前蹴りを避ける。

「もらったよ。皇子様」

リュウの左側に滑り込んだミラ、その手に握る大剣に炎が宿る。

この距離で剣技を放てば事前に防御策を講じていない限り間違いなく当たるであろう。

「炎焼斬!」

命を断ち切る炎に燃える大剣が容赦なくリュウの左脇腹に叩き込まれる。

「竜撃衝!」

リュウは側面から襲いくる斬撃を無視し、闘気を纏った大剣を青の大地に思い切り叩き付けた。前方左右側面から青い衝撃波が壁のように発生しミラを大きく弾き飛ばす。

「へぇー」

弾き飛ばされたミラは殺し損ねたにも関わらず大して悔しがらないでいた。

炎の大剣はリュウの身体を傷つけることは出来なかったものの、制服の左わき腹部分を焼き斬っていた。少しでも斬られていたら傷口が焼け爛れていただろう。

「普通の人なら私の攻撃を受け止めるのに、それをしないで局地衝撃波を発生させて私を弾き飛ばすなんてやるねー」

青い大地に突き刺さった大剣の切っ先を引き抜くとリュウはミラの方を向き今度は大剣を下段に構え直す。

「受け止めていれば俺はミラさんの炎を纏った大剣で焼き死にましたよ。剣を接触させて炎を相手の剣に伝わせて相手を焼き殺す戦法でしょう?」

「へぇーすごいすごい。そこまで分かっていたなんて感心だよ。ところで何でさん付けするの? 私のほうが幼い姿なのに」

ミラの疑問にリュウは鼻で笑った。

「二十四なのに?」

リュウの一言を聞いたミラは顔に笑みを浮かべたまま閉じていた翼を広げた。

広げられた翼に輝き放つ氷塵が纏わりつき始めるとミラの表情は一変した。笑みを消し、怒りの形を浮かべるミラは憎々しげに低い声を出す。

「……分かった、皇子様には少しだけ痛い目にあってもらおうかな!!」

氷塵纏う翼が羽ばたかれた。

纏わりついていた氷塵は翼の羽ばたきとともに舞い散り、羽ばたきの勢いに乗り周囲に満ちていく。

青色の世界を舞う無数の氷塵。

それは宛ら万華鏡。色彩豊かな紙塵を入れ覗き穴から見ることで様々な形、色を出す玩具。理屈が分かり仕組みが分かりながらも魅了される者も少なくない玩具。

氷塵達は青の世界で光を反射させながら宙を舞い踊る。

リュウは氷塵舞う光景を横目に見ながらも前方で銀の大剣を持つミラから目を離さない。どのような手段で攻撃されるか分からないからだ。

リュウの警戒心、それは正しい行動だった。

口元を歪め、ミラが銀色の大剣を肩に背負うかのように構え躍りかかってきた。リュウはミラの構えを見つつ脳内で敵の攻撃を事前に分析する。

ミラの構えは右利き。右肩に背負うかのような構え。振り下ろしの場合は縦、もしくは左腰への袈裟懸けの可能性が高い。右手、右肩の構えで斜め右に振り下ろしても前者の二つ程の速度は出ない。

振り下ろされた際は右側への移動が一番有効な回避手段とも言える。

次に薙ぎ払われた時の場合。右側への回避でも薙がれた場合は回避が難しくなる。担いだ状態でいても容易に右方向への攻撃が可能となる。

最後に魔法や剣技等による攻撃。これは回避が困難である。魔法には多様な広範囲に影響を及ぼすリュウもミラの持つ属性をまだ火と水しか把握していてないため回避の手段は困難を極めるだろう。

「避けるか防御するか決まった!?」

攻撃範囲にまで近づいたミラが大剣を振り下ろした。剣の軌道は右肩から左腰まで走りぬける斬り降ろし。リュウは数歩後退した後右に動き銀刃を回避する。

回避されたのにも関わらずミラの口元には笑みが浮かんだまま。何かがあると考えるリュウの目に映った物はミラの足元で渦巻く風。

リュウがさらにミラから間合いを取ったすぐ後であった。

ミラが回った。形容でもなんでもなくそのまま回ったのである。風属性を足元から全身に纏わせ渦巻く風の勢いを生かし、自身を軸に高速で回転し周囲を薙ぎ払う回転斬り。触れれば肉も骨も断ち切られるであろう。

「距離を離したのは褒めてあげるよ。でもね、皇子様」

回転斬りを終えたミラはその場で停止し青の空へと左手を翳した刹那、舞っていた氷塵が渦巻き主の命に従い翳した左手へと奔流と化し纏わり付いた。

一方、右手に握られるミラの得物である大剣は銀の輝きから緋色の輝きへと変貌している。

リュウには繰り出されるミラの攻撃が分かった。大剣の刃とは逆側に装備された装置をミラの前方に向け中段に構えるリュウ。初めての本格的な防御姿勢はこれから身に襲い掛かる脅威に対してだろう。

「防御なんて無駄だからね!」

氷塵纏う左手を突き出すと氷はミラから少しだけ離れた場所に撒かれ、その場で停滞する。

ミラが今までで最高の笑みを浮かべると同時に緋色に染まった大剣が薙がれた。

金色のミラの髪が靡きスカートを捲り上げる。轟音が鳴り響き、爆風が放射線状にリュウを包み込むかのように襲いその姿を消し去った。

緑の海に少年は座り込んでいた。空は青く澄み渡り我が物顔で空を翔ける竜、飛竜であるワイバーンが飛んでいる。

「クルルルル……」

少年の傍らで一匹の白い鱗で包まれた幼いドラゴンが小さな声をあげながら腕に寄り添う。座り込み意思の無い黒い瞳で少年は草原を見ていた。

大好きだったこの場所。大好きだった女の子。大好きだった自分専用の飛竜。少年の大好きだった物。

それは全て火の海で焼かれた。

「クルルル……」

白いドラゴンの声は少年には聞こえない。

少年は全てを失い、自分自身さえも失おうとしていた。

ミラは元の色へ戻った大剣を地に刺すと鏡代わりとする。手で軽くエプロンドレスを払い、スカートと襟元を正し、最後にリボンを直す。乱れた衣服はこれで戦闘前と同じになった。ミラは大剣を引き抜き片手で担ぐ。

ミラの視線の先。爆風の中、青い瞳が輝いていた。